足利義晴関連エントリー

池辺義象『偉人幽斎』―足利義晴の御落胤説をめぐって― その2

... 幽斎・ 細川藤孝 (1534-1610)は 室町幕府の将軍 足利義晴 の実子(御落胤)であると する立場 で記されたものです。 それでは早速、本文を紹介したいと思います。 話は、 足利義晴 の近臣 三淵伊賀守晴員 (1599-70)の別荘 から始まります。 ...

池辺義象『偉人幽斎』―足利義晴の御落胤説をめぐって― その2

足利義晴

... 将軍の権威が失墜し、実権を握る細川氏や三好氏に振り回される境遇だった。子に剣豪将軍、義輝。 関連する武士の歴史365日 1531年2月17日(享禄4年)、足利義晴が近江国朽木から葛川へ移る。 足利義晴

足利義晴

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1531年2月17日(享禄4年)、足利義晴が近江国朽木から葛川へ移る。 第十一代将軍足利義澄の長男。管領、細川高国に擁立されて第十二代将軍に就任。 1527年、桂川の戦いで細川高国が破れると、実権を握った阿波国国人 ...

足利義晴

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... 藤原頼経 藤原頼嗣 宗尊親王 惟康親王 久明親王 守邦親王 足利尊氏 足利義詮 足利義満 足利義持 足利義量 足利義教 足利義勝 足利義政 足利義尚 足利義材 足利義澄 足利義稙 足利義晴 足利義輝 足利義栄 足利義昭 徳川家康 徳川秀忠 徳川家光 徳川家綱 ...

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池辺義象『偉人幽斎』―足利義輝の御落胤説をめぐって― その1

... 新聞社 より復刻版 が刊行されています、 ところで 細川藤孝 は、室町幕府の将軍 足利義晴 (1511-50)の 落胤ではないかという説がありますが、 池辺義象 の 『偉人幽斎 ... 池辺義象 が 『偉人幽斎』 で描いた 細川藤孝 の 足利義晴 落胤説を紹介します。

池辺義象『偉人幽斎』―足利義輝の御落胤説をめぐって― その1

足利義晴とは?

足利 義晴(あしかが よしはる、永正8年3月5日 (旧暦) 3月5日(1511年4月2日) - 天文 (元号) 天文19年5月4日 (旧暦) 5月4日(1550年5月20日)、将軍職1521年 - 1546年)は、室町幕府第12代征夷大将軍 将軍である。第11代将軍足利義澄の長男、母は日野永俊の娘で日野富子 富子の姪。兄弟に足利義維。正室は近衛尚通の娘。子に足利義輝、足利義昭ほか。幼名は亀王丸。
1521年(大永元)に第10代将軍の足利義稙を追放した管領、細川高国に擁立されて第12代将軍に就任する。1526年(大永6)に高国が家臣の香西元盛を殺害するなど細川氏で争いが起こると、細川晴元は義晴の弟の義維を擁立する。1527年(大永7)、桂川の戦いで細川高国が破れると、実権を掌握した阿波国の国人の三好元長に追われて近江国(滋賀県)に逃れる。元長らが擁立した堺公方足利義維と対立した。1531年(享禄4)に高国は天王寺の戦いに敗れて死去するが、戦後には細川晴元と三好元長が対立する。晴元ら本願寺と協力して堺公方を滅ぼし、三好元長が死に、1534年(天文 (元号) 天文3)には六角定頼・六角義賢父子の後援を得て帰京する。将軍の権威は完全に失墜し、飾り物でしかなかった。

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